軌跡 第5夜

では、第5夜です。







横浜ですね。


やっぱり横浜いい!


住みたい。


将来はランドマークタワーを手に入れられるぐらいの



ビッグ人間になろう。



と、ここまでみたところで振り返り終了で…。



意外ともう写真は無いので、



新たに撮りに行こうってことで締めます。



こうやって過去の写真を見ることで



その時、僕が何を見て、何を考えていたのかが少しわかります。



それって意外に大事なのかも。



自分のことが少しわかるというか…。



まぁ、自己分析じゃ!と叫ぶつもりはありませんが、



少しは自分のことを知らないと、



やっぱりいつか訳が分からなくなるような漠然とした不安があります。


ということで、今回のシリーズは僕もいろんなことを考えながら


記事を書くことができました。


見てくださった方々、ありがとうございます。

・・・・・・・・・・・

今日、東京駅から出発して、



六本木ヒルズまでの旅をしてきました。



写真はあまりとらなかったのですが、



次回から少しづつアップしたいと思います。



それでは。

軌跡 第4夜

それにしても暑い。


この時期に青っぽいシャツを着てるのに、


汗染みができていない人は、


何か裏技があるんでしょうか?


誰か知っている方がいたら教えてください。


それでは第4夜、まいりましょう。




渋谷ですね。


2009年の11月に訪れたようです。


あんまり覚えていないなぁ。


やっぱり109は渋谷の要塞です。


去年の冬に、妹がどうしても行きたいと言うので


109に行ったんですが、


あそこはとにかく疲れる!男子(特に僕みたいにダサいやつ)にとっては


つらいっす。



旧古賀庭園です。


年末も年末、2009年12月の写真です。


1年生のころは本当にいろんなところに行ったんだなぁ。


旧古賀庭園の見ごろは薔薇の咲く5月中旬だそうです。


今度はバラ鑑賞にいこうかしら。




旧古賀庭園から1年後2010年12月の写真です。


1枚目は築地と月島を結ぶ勝鬨橋です。


2枚目は、年末の上野アメ横


月島に行く時は必ずもんじゃを食べるんですが、


そのたびにおなかを壊す…。


何がいけないんだろうか。


あと、僕は上野にも行きすぎだなぁ。


なんでだろう。


でも好きなんです上野。


そうだ、上野、行こう。


ということで、


今回はおしまい。

軌跡 第3夜

テスト期間中、写真を撮りに行くことにきめたので、


それまでは過去の写真を振り返ります。



今夜はその第3夜です(第○夜って言い方は「どうでしょう」っぽい)



では、まいりましょう。




去年の5月の写真。 


どこかわかりますか?


とりあえず夜の撮影ですな。


このころから三脚がほしいと思いつつ、


いまだに買ってないなぁ。




日にちが前後しました。


これは2009年の10月の写真です。


場所は西川口です。


首都圏の中では比較的有名な歓楽街。


これは夕方に行ったので大丈夫でしたが、


夜も深まると、いろいろなロマンと欲が入り乱れる


そんな街、西川口です。


鶯谷といい、歌舞伎町といい、西川口といい、


僕はそんなに歓楽街好きなのか?


ふむ、あとは吉原を制覇するしかない。





池袋サンシャインのとなりにある公園。



完全に猫を中心に撮ってました。



2009年11月のことですね。



やはり猫だな…。


ふー、では次回をお楽しみください。

軌跡 第2夜

さて、前回は2010年2月の写真を振り返ったわけですが、


今日はどんな思い出と出会えるのでしょうか。








函館です。


平日の昼間だったと思いますが、


それは関係なく常に人はいないですね。


過疎とはこのことかも。


東京に住んでいると忘れがち。


ちなみに、函館にはスターバックスドトール


すきやも吉野家もありますよ!


なめてもらっちゃ困ります笑


では次にまいりましょう。





池袋ですね。


このころは、写真を撮りつつ散歩、というのをよくやっていたなぁ。


大学に行くときに見ている池袋は、ほんの一面だけなんだってこと、


散歩をするとよくわかりますよ。



今日はこんなところですかね。


今回わかったことは、


最近散歩をしていないということ。


僕は昔からそうなんですが、


嫌なことがたくさんあると、


フラッとどこかに行ってしまうという癖があります。


そろそろ、それが発動しそうな勢いなので、


僕の姿を学校で見なくなっても


気にしないでください(笑)

軌跡 第1夜

これまで僕が撮った写真をだいたい順番に並べてその軌跡を辿ってみるという企画。 


今夜はその第1夜です。


一枚目は去年の2月に訪れた神田高架下ですね。


これ、僕が持っている一眼レフで初めて撮った写真です。


へったくそですが、その時はカメラを手に入れた喜びに浸ってましたね。


山手線の東方面を開拓する旅はここから始まった気がします。




これらは新宿副都心にそびえるコクーンタワーとかですな。


けど、誰かの所有地で写真を撮るのは気をつけよう…


怒られることがあるから。


そもそもこの写真を撮ったのはなぜだろう。


覚えてないけど、ザ・東京を味わいたかったのでしょうか、1年前の僕は。






上野です。 地方(東北)出身者は昔、東京の玄関口である上野を目指したそうです。


その遺伝子を引き継いだ僕もやはり上野にはよく行きます。


近いうちにパンダは見に行くつもりです。





芸能人のまち、恵比寿です。


こんなこと言ってる時点で、


僕は田舎者だなぁ。


まぁ今回はこれくらいにしておきますが、


分ったことはとりあえず、


東京探しをしていたということですね。


次回もお楽しみに。

ブックレビュー②

さて、第2回目のブックレビュー。


今回は徳山喜雄著『フォト・ジャーナリズム』(2001、平凡社新書)です。


この本を読んだきっかけは、ジャーナリズムの領域で、フォト・ジャーナリズムが


もっとも僕の興味がある分野だからです。


昨今、動画ほどインパクトがあるメディアはないと言えます。


動画は、人々に分りやすくかつ強烈な衝撃を与えるからです。


では、写真が持つジャーナリスティックな意味とは何なのか…。


それを本書では追及しています。


まず写真というメディアについて。


写真が誕生した際、絵画は無くなると言われながら新たな想像力を見出したという言葉を引用して、


写真もまた映像が登場したことで、新たな何かを作り出すのではないかという論点を紹介しています。


また、今まで新聞に登場する写真は掲載されるまでの時間との戦いという面が強く、


質はそこまで問われていませんでしたが、


デジタル化し、時間の制約を受けなくなった結果、


カメラマンは仕上げる写真の質を上げる必要に迫られました。


質というのは、芸術写真と違い基本的に分かりやすいものでかつ、メッセージの強いものです。


他にも本書ではフォトジャーナリズムだけではなく、


ジャーナリズムそのものの本質に関する問いも提起されています。


それは、人命か報道か…という答えなきものです。



具体例としてあげられているのは「ハゲワシと少女」です。


あまりにも有名なため、説明はしませんが


この写真が公表されたのちに噴出したのが上の問いです。


やつれてしまい今にもハゲワシに命を奪われようとしている少女を見捨て、


写真を撮っていたのか、人として恥ずかしくないのか…と。


これに対して、もちろんジャーナリストとして報じることが使命だと答えるのも正しいし、


報じるよりも一人の人間として少女を助けるというのも正しい。


ジャーナリストでさえ、開口一番前者であるとは答えることの難しいこの問題は、


いまだ議論の余地があり、これ以降もジャーナリズムが存在する限りなくなることのない問いでしょう。


著者はこれに対し、人の命を考えることを忘れず、その葛藤を知りながらもなお、


人々に何かを伝えるのがジャーナリストであるという立場です。


しかし、決してこの問いを忘れずに持ち続けなければならないといいます。


ほかにも、阪神淡路大震災で被災した記者が、


ジャーナリズムと人命救助のはざまでどのような行動したかも紹介されており、


この問いが常にジャーナリストと共にあることを考えさせます。

・・・・・・・・・
ここで、本書にも出てくるフォト・ジャーナリストの長倉洋海さんの言葉を引きましょう。


かれは、今年の1月の朝日新聞グローブで、


今後の写真の可能性についてこのように答えています。


「人のありようを写す写真は、永久に残っていく」


人は人にひかれ、相手を写すことで自分が何者かを考える。


ということは、人が人に関心を持ち続ける限り、


写真は時を超えて残るとしています。


この言葉の解釈は人それぞれです。


ただ、僕が考える「写真」・「フォト・ジャーナリズム」の本質はここにあるのだと感じました。


動画でもいいじゃないかという人もいるかもしれませんが、


違うと思います。


動画は多くの画像が瞬間的に切り替わることで動いているように見えるんですが、


それはつまり、1秒という時間内でも多くの画像が消費され消えていくことに等しく、


写真が持つ一瞬の力を超えることは媒体特性として難しいのではないかと思うからです。


よって、人に関心がある限り、その関心を満たすメディアとして


写真は映像以上にその力を発揮するのではないかと考えています。


まぁ、このことに関しても本書では貴重な意見が記されています。


この本の副題は「いま写真に何ができるか」です。


この問いを読者それぞれが本書を読んで得ることが、


おそらく著者の意図でしょうし、


僕は自分なりの意味を見出しました。


是非読んでジャーナリズムというものと、


その表現手段として使われる写真について考えてみてください。


徳山氏は他にも、『報道危機』(集英社新書、2003)も書いています。


重複する部分もありますが、


そちらは特に本書よりもジャーナリズムという点に視座が置かれています。


興味がある方は是非読んでみてください。

ブックレビュー①

ということで、これからなにか興味深い本を読んだら、


その感想と意見を備忘録的に書いていきたいと思います。


では、最初のレビューは、大谷昭宏著『監視カメラは何を見ているのか』です。
(2006年、角川oneテーマ21


大谷さんはテレ朝の朝の番組によく出ている方です。


この本のタイトルには「監視カメラ」というワードが入っていますが、


それについて主に触れているのは後半です。


では、前半は何について述べているのか。


共謀罪です。


これはまだ日本では成立していない法律で、


大まかにいえば、「悪いことを考えている奴は、捕まえろ!」といったものです。


危険な思想などを持っている人を未然に捕まえられる法律だ、と単純に解釈するのは危険だと本には書かれています。


つまり、法律は拡大解釈されるのが常で、権力に都合のいい解釈がされやすいんです。


そう考えると、「危険な思想」というものを判断する基準を持つのは権力であり、


それを使えばいとも簡単に僕らは捕まります。


「お前、今、国にとって不利なことを知り合いと考えただろ!」ってな具合に。


共謀罪はたとえば国にとって不利なことを話し合えば即アウトです。


なにかを実行しなくても。
(ちなみに対象は政治団体だけでなく、市民団体も対象)


犯罪を防止できると言えば聞こえはいいですが、


僕らに対するリスクとリターンのバランスが取れていないような気がして、


やはり賛成することはできない…と僕は感じました。


もっと嫌なのは、普段の会話から共謀罪は成立するので、


誰かに聞かれたらやばい…と考えて、


ちょっとした文句も言えなくなるということです。


そんなのは絶対に嫌ですよね。


監視をしあう社会は共謀罪の手にかかればすぐに出来上がります。


その点からも賛成できない。


大谷さんも基本的には反対の立場のようです。


共謀罪は今のところ可決・成立されてませんが、本書内で「ゾンビのようによみがえる」と表現されているように、何回も国会に提出されています。



では、後半。 監視カメラを象徴として、監視し合う僕らの社会のカラクリが具体例と共に示されています。


読めばわかりますが、監視カメラがあれば安全だという前提を読者はいきなり崩されます。


具体的に03年に長崎で発生した男児の誘拐殺人事件や05年7月ロンドンで起きたテロを、


監視カメラがありながら、事件を防ぐことができなかった例として提示しています。


カメラに決定的な防犯能力がないのならば、僕らはただコンビニで買い物し、


本屋さんで立ち読みしているところを誰かにずっと見られ、その様子をどこかにストックされているだけだということになります。これって嫌じゃないですか?


カメラに全く防犯能力がないとは言いませんが、


疑わしいその能力を疑わずに、カメラの存在を気にしていないこの国の人々が


不感症なのではないかと思えて仕方がありません。


しかも、一方でプライバシーを守れ!と叫びながら、


私生活をバンバン見ている監視カメラに対して無批判だというのも


よく考えるとおかしいですよね。


誤解されたくないので付け加えておきますが、


僕は「監視カメラなんかなくしちまえ!」というつもりはなく、


とりあえず、こんなにカメラがあふれているのに、


プライバシーを覗かれ、その記録は誰が持っているのかも分らないという今の状況に、


もうちょっと恐怖や疑問をもったほうがいいんじゃないかと思うだけです。


本書では、他にも監視社会におけるマスコミや


超監視社会がどんな世界であるかにも記述があるので、


是非読んでみてください。


ただ、タイトルの「監視カメラは何を見ているのか」は本を読んでも分りません。


つまり、これは著者から読者へのメッセージで、


「この本を、それについて考えるきっかけにしなさい」という意味だと


僕は解釈しました。


以前も監視カメラについてのことはブログに書いているので、


興味がある方はぜひ読んでみてください。