石巻

石巻に行ってきました。


震災から1年、僕がずっと目をそらしてきた現実が


そこにはありました。


ボランティアには行かず、義捐金を送るわけでもなく、


何もしてこなかった僕は、


カメラを通してしか現実を見ることができない程に、


自分に対して強烈な後ろめたさを感じていました。


そんな臆病な僕が見てきた石巻のいまを


見てほしい。


そこから何を感じるかは、


読んでくださるあなたの自由です。


それでは。

商工会議所の壁に貼られた「がんばっぺ!日本」。


市内には同様の張り紙がいっぱいあった。


東京で見る似たような言葉よりも、


重みを感じた。



残された痕跡。


津波が昨日来たかのような生々しさがあった。



街には二つのものがあった。


ひとつは、人の気配が残るもの。


もうひとつは、何もかもが消し去られてしまったもの。




橋についていたであろう水位計。


圧倒的な津波に、その役目を果たすことは出来なかったようだ。



みなとタクシーの建物。


カーテンのようなものが風に揺られていた。



民家の入り口に残された貼り紙。


石巻には、あらゆる人に対する感謝を伝えるメッセージが


多く残されていた。



子どものおもちゃだろうか。



船は至る所にうちあげられていた。


このような象徴的なものを見ると、


改めて普段自分が生きている現実との隔たりを感じる。


でも、本当は隔たりなんかなく、


一続きの世界に生きている。



街に残されたシャッターは、


風に揺られてギシギシという音を出していた。



すべり台の奥に見えるのは、ガレキの山。


残されたガレキは、


行く当てもなく、ただそこに存在しているだけだった。



津波のすさまじさを語るものは至る所にある。


地元の人がどのようにその痕跡を見るのかはわからない。


けど、僕にはとても受け入れがたいものだった。




津波に流された多くの車。



ガレージに残された馬のおもちゃ。


何度も繰り返すけど、


人の気配が残るガレキがたくさん残っている。


そして、それらを見るのはとても悲しい。


この悲しさを感じたくないから、


僕はこの一年、目をそらし続けたのかもしれない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これが、僕が見てきた石巻です。


どんなに言葉を重ねても


伝えきれない程の現実がありました。


ただ、一つだけ明言できるのは、


実際に行かないと見えないものが


そこにはたくさんある、ということです。


それが、僕が今、精一杯伝えられることです。


おしまい。