原子力発電

震災後、原発に関する議論がたくさんなされています。


いままでは関心がなかったけど、


今回の事故を機に考え直したという人はとても多く、


僕もその一人です。


そして、声を大にして「反原発」をとなえる人々が


デモを起こしています。


それだけ人々に大きな衝撃を今回の事故は与えました。


でも、僕は何も行動を起こしていません。


せいぜいブログに何かを書くくらいです。


「なぜ何もしないのか」


そう質問されたら僕はこう答えるでしょう。


「時間をください」


答えにはなってないけど、


こう答えるよりほかないです。


なぜなら、自分の中でデモを起こすほどの考えが固まっていないから。


そんな僕みたいな人に対して、


「行動しないのは原発推進と変わらない」なんて言う人がいる。


これは間違い。


そもそも自分が原発推進か、反対か、それとも脱原発なのか


それさえもわかってないんです。


もしも原発推進という考えが固まってるのなら、


もっと反対派を批判するはずです。


でも、何もしないんです。


この様子で察してください。


そういう人を急かすようなことは


しないでほしい。


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では、なぜ行動しないのか、


このことをもう少し考えてみたいと思います。


一つは、原発推進によって見えてくるメリットが


事故による危険性に代えてでも


手にしなければならないほどのものかが不明確だというこよ。


これは推進に舵を切れない理由ですね。


そしてもう一つは、


「反原発」に対して大きな疑念があるという点。


もっと正確にいえば、論理なく「反原発」を叫び散らす人に


対しての大きな疑念があるということです。

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震災後、今は亡き忌野清志郎さんの「サマータイム・ブルース」や、


「ラブミーテンダー」、


そして、斉藤和義さんの「ずっとウソだった」が話題になっています。


音楽の力を使って


自らの考えを示すこと、


それ自体は尊い行動だと僕は思います。


でも、それに影響されて盲目的に


原発を叫んではいけない。


自分でしっかりと考えて、


誰からの反論に対しても答えられるようになるまで、


行動すべきではない。


なぜか。


しっかりと固まった考えがない場合、


すぐに意見は変わり、


行動が長続きしないと僕は信じているからです。


フォークソングが廃れ、


反戦や反体制を大きな声で唱える人が少なくなったように


数十年後、原発に関する問題が


残っていたとしても


「反原発」を大きな声で叫ぶ人はいなくなるでしょう。


今のままでは。


だからこそ、しっかりとした論理を持った上で


行動すべきで、そうなるまではじっくり考えるべきだと


僕は思います。


信念といってもいいような、


これだけは譲れないという論理を


もしも僕の中に生まれたならば、


それが「反原発脱原発」もしくは「原発推進」を掲げるときです。

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この前に放送していた


「報道発 ドキュメンタリー宣言」で斉藤和義さんが取り上げられていました。


そのなかで、「ずっとウソだった」を彼がフェスで演奏した後、


それを聴いた彼のファンが


「ニュースとかもよくわかんないんで、こういう自分の好きな人が言ってることだと
すんなり入ってきたりする」


とか


「今日(ライブを)観てた人はみんなずっと手を叩いて一緒に歌ってて、
あ、やっぱみんな同じこと考えてるんだなと思いました」


といってました。


一番愚かだと思う。


どちらの人も、何一つ論理がない。


好きな人がこう言ってるからどうとか


みんながそう考えてるからなんて理由で


自分の考えを固めちゃいけない。


見落としてることが多いはずだから。


同様に、


こわいから、心配だからなんて短絡的な理由じゃだめだとも思う。


これは実際に子どもがいる人には強く言えないけど、


やっぱり感情だけだとだめ。


だって、感情って熱しやすく冷めやすいことが多いから。


ただし、しっかりと補足しておきたいのは、


すでに行動に移しているのなら、


僕はそういう人に対して「やめろ!」とはいいません。


そのかわり、僕のような人に考えを理不尽に押し付けたり


見下したりはしてほしくない。


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最近は右翼も左翼も関係なく


「反原発」を主張しているようです。


ということは、僕のように「反原発」とは言わない人、


もしくは原発推進派といわれる人が


「非国民」と名指しされるのも


時間の問題かもしれない。


無闇に危機意識を高めても何の意味もないけど、


でもそれくらい協調圧力は高まってる。

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最後に言っておきたいのは、


僕はしっかりとした論理があって


原発なり、原発推進なりを主張する人は認めます。


偉そうですが。


しかし、どちらの立場でも


感情だけ、利益勘定だけで動いている人は


信用しません。






京浜東北線王子駅付近です。


都電が走る懐かしい街。


そんな感じでした。