二者択一

今日は外食して帰るか、


それとも我慢して家で夕食を作るか…。


毎日のようにこのような葛藤をしている僕です。


まぁこのように、何かを決めるときや判断するときに二者択一を迫られることが多いですよね。


外食するかどうかのようなものから、


もっと深刻なものまで。


今回はその「二者択一」という考え方を疑ってみたいと思います。


今読んでいる本が総理大臣とメディアの関係性について論じているのですが、


そこで出てくるのがやはり、小泉純一郎元総理なんですね。


彼は総理になるときから郵政選挙のときまで、あることを一貫して続けていました。


それは他でもない国民に、「二者択一」を迫ることなんです。


つまり、「自民党をぶっ壊す!」といったときは改革派(善)と守旧派(悪)という構図、


郵政選挙の時は、郵政民営化推進(善)と造反議員(悪)というそれぞれ善悪の二項対立を作り出しました。(善か悪かは人それぞれですよ)


政治に詳しくない人は複雑なものよりも、


論点を絞って善悪の二項対立ができていた方が


誰が悪いやつか、何が悪い考え方かを明確にできるんです。


一見よいことのようですが、もともと複雑なものを単純化するには


当然さまざまな物事を削る必要があります。


つまり、本来ならば様々な人の視点や考え方、しがらみなどが絡み合っているものであるはずが


それらを全部なしにして、これが善でこれが悪だ!といいきってしまうんです。


わかりやすいですが、危ないですよね。


たとえば、ある人にとってそれが正しいこと、良いことであったとしても


必ずしもそう感じない人はいるはずです。


けど、これを善悪に単純化してしまうことで


そのような人の視点に対して盲目になってしまうわけです。



それだけでなく、わかりやすいからこそ、その選択肢を疑うことをしない。


前提が矛盾だらけの可能性も十分にありうるのに。


それらに気がつかずに、「小泉劇場」に巻き込まれたメディアや国民は


彼の政治の裏で出てきてしまった矛盾を後になってから悔んでいます。


このように、二者択一というのは多くの物事を単純化して初めて成り立つ


結構危険な考え方なんです。


外食するかどうかで迷っているときはいいですが、


もっと重要な決断をする際に、選択肢が二つになったら少し立ち止まろう。


そのことについて考えること、悩むことを辞めたいがために


いろんな考え方を落っことしてるはずです。


「そんなことを言ってたら、何も決めらんないじゃん!」という人もいるかもしれませんが、


それは尤もです。


だからこそいいんです。


人間、考え続けないとダメですよね。


ただ、これはその人が思う「重要」な決断の時に考えればいいことで、


普段の生活でそこまで悩む必要はないと思います。


まぁ、ものごとはそんなに単純じゃないってことを言いたいんです。


うん、なんかオチが無責任。


ごめんなさい。



これで写真のストックが底をついた。


やばし・・・。