寄付

今日のNHKのスポーツ番組で、


ブラジルのスラム出身のサッカー選手、アドリアーノが、


NGOを設立して、故郷に寄付活動をするという話が紹介されていました。


スポーツ選手や有名な俳優がチャリティー活動をするというのは


海外では結構メジャーなことだそうです。


日本ではどうでしょうか。


チャリティーを大々的に行っている人って


あまりいないような…。


僕が無知なだけだということを除いても、


日本は寄付文化が根付いているとはいえない状況です。


どうしてだろう。


それを知るには、彼らのような金持ちさまが


なぜ寄付・チャリティーをするかということから考えましょう。


素直に分析すれば、恵まれない人々に


経済的な援助をするためということがいえます。


うがった見方をすれば、寄付をして、


自分のイメージを向上させるためともいえる。
(もちろん全員がそうとは言いません)


日本人は後者が鼻につくのかもしれない。


そして、寄付というものに対して後ろめたさを感じる。


つまり、偽善という一面がやたらと目につき、


それをしている自分にどこか恥ずかしさを感じるから


寄付という文化が根付かないのかも。


けど、「やらない善よりやる偽善」。


本当に苦しんでいる人や困っている人にとって、


援助する主体の思惑や事情なんて関係がない。


だとしたら、何もやらないよりも


理由はどうであれ、支援してくれたほうが彼らにとってはありがたい。


このことを知っていれば、


周りから偽善者と揶揄されたとしても、


そんなことを気にする必要は無くなる。


だから、日本の金持ちさまも


すすんで偽善者になるべきだし、


同時に周りの人は、そんな偽善者をみて、


何もできない自分を見つめなおせるぐらいの気概を持つべきだと思います。


でも、許せない類のものも…。


日本テレビの“大”チャリティー番組である「24時間テレビ」。


日テレが広告収入をすべて何らかの形で、


寄付にあてているのならまだしも、


ちゃっかり懐に納めている。


しかも出演者のなかには出演料をもらっている者もいる。


「チャリティー」を番組名につける資格はありません。


自らの偽善を見せることで収入を得るのはいけない。


だって、チャリティーは利益を得ることを前提としてやってはいけないでしょう。


アドリアーノは収入を得るためにNGOを立ち上げたわけではなく、


純粋に故郷の人々のために、支援をしようと考えたはず。


これがチャリティーということばに合致する行為です。


金もうけのために誰かの支援をするなんて、チャリティーとはいえない。


「愛は地球を救う」。


ことば自体は素晴らしい。


でも、日テレはこの言葉を口にする資格なし。


金銭的利益のための番組は偽善にすらなっていない。


偽善でさえないのならば、やる必要はない。


最後に、24時間テレビが好きな人、ごめんなさい。


あくまで、僕の好き嫌いをストレートに言っただけです。


僕が、「セロリが嫌いだ!」と言ったからといって、


セロリ好きな人がたべるのを遠慮する必要がないのと同じように、


僕がこの番組が嫌いだとしても


あなたが好きなのならば、そんなことはどうでもいい。


ラソンに熱狂するのも自由です。


でも、あの番組は決してチャリティーと名乗れるものではないということだけは


知っておくべきだと思います。



引き続き、大桟橋。 


荒川の時と同様、逆光に立ち向かうの図。