芸能報道

知り合いのブログのテーマが芸能人に関することだったので、


僕もメディア社会学科の人間として、


今日は芸能報道について考えていきたいと思います。


お昼のワイドショーでは、


俳優の○○がだれだれと別れたといった類の企画が満載です。


僕はそれらの情報についてはあんまり関心はないのですが、


TVでそれが流れているということは、


誰かが見ているはず。


まぁ、お昼だからF2〜F3の人々を対象としているのでしょう。


ということは、それらの人々は


これらの芸能情報を知りたいのだと解釈できます。


もしも、国民が知りたいとおもっている情報を


伝える役割がジャーナリズムの一環であると


定義するならば、芸能報道もまたジャーナリズムの一部であると言えます。
(メディ社のジャーナリズム論をとるとここら辺を丁寧に教えてもらえますよ)

メディアが流している情報自体が下世話であったり、


過激であったりしたとしても、表現の自由がある限り


国民の知りたい情報はメディアは伝えてしかるべきです。


しかし、それらが暴走し始めると厄介で


今回、歌舞伎役者の市川海老蔵さんに対する一連の報道を


見てわかるように、最初は海老蔵さんに乱暴したのは誰だ!という


流れから、現在では彼自身が悪かったんじゃないか?という流れになっています。


報道内容自体はどうでもいいのですが、


問題なのは、どのテレビをつけても先にあげた流れにのって報道しているということ。


つまり、いくつかのテレビだけは海老蔵さんを擁護したり、


一方でいくつかのテレビは逆の立場をとったりと、


一つのケースに対するいろんな見方があるべきなのに、


今回の場合(今までもそうなのかもしれない)は


みな、同じような流れの上に立った報道をしています。


これは、芸能報道だから、いいですが、


これがもしも政治に対する報道であったとしたら、


大変です。


メディア全体がなんとなく同一の流れに乗って、


同じような報道をしていたとしたら、


国民にはある視点からみた情報のみが


伝えられることになり、


ある問題に対して無批判にそれを


受け入れてしまうということになりかねません。


まぁ、政治報道でもそうなりかけていると言ってもいいでしょう。


この原因は簡単なことで、


テレビであれば視聴率、新聞ならば部数が落ち込むことを恐れているからです。


国民が望むかたちの情報にフィットさせなければならないという


焦りがメディア関係者の中にはあるのでしょう。


しかし、たとえばそれに合わせてやっていると、


国民は政局の中でもよりスキャンダルな情報を知りたいと


思っているので、メディアはそれを中心に報道する。


しかし、肝心の政策の議論は全くおいてけぼりになるという現象が起こります。


これは、かなりまずいことです。


だからメディアは今後、国民の希望に合わせつつも、


それ以外の報道をしていくべきではないでしょうか?


芸能報道から見る日本のメディア論はここまでにしておきます。


まぁ、僕は海老蔵さんは単純に酒癖が悪いだけじゃなかろうかと思ってますが。

引き続き井の頭公園


はぁ、クリスマスが近いなぁ